アングル:コロナ禍で帰国者続出、イタリアの中国人コミュニティー

Reuters

発行済 2021年05月22日 08:20

Silvia Ognibene

[プラート(イタリア) 17日 ロイター] - コロナ禍による予想外の犠牲を被ったのが、イタリア国内で有数の中国人コミュニティーだ。トスカーナ州の小都市で30年以上にわたって拡大してきたコミュニティーは、いま急速に縮小しつつある。

フィレンツェの北方17キロにあるプラートで中国人が暮らし始めたのは1980年代の終わり頃だった。イタリアのファッション産業を支える工場群ではいくらでも仕事が見つかったからだ。

中国東部の浙江省の出身者を中心とする移民は、国内ブランドへの供給を担う高級志向のイタリア企業と並んで、低価格の生地を生産する産業を生み出した。

結束の固いコミュニティーは年々拡大し、2019年末には約2万5000人を数えるに至った。人口20万人の街には約6000社の中国系企業が存在し、プラートは欧州最大の中国系産業の集積地の1つになった。

ところが昨年春、新型コロナウイルスがイタリアを襲った。以来、プラートの中国人コミュニティーの10%に当たる約2500人が街を去った。

プラートで暮らす多くの中国人にとっては、新型コロナが1つの転機となり、欧州で最も低迷するイタリア経済において、自分たちにどのような未来が待っているのかという疑念を高めることになった。

最初のうち、中国人は新型コロナを拡散させた原因とされ、差別に苦しんだ。その後、イタリア国内での死者が増加する中でほとんど犠牲者を出さなかった中国人コミュニティーは、新型コロナ対策の模範として話題にされるようになった。

だが今、多くの中国系住民は諦めつつある。新型コロナを背景としたリセッション(景気後退)に疲弊する中で、パンデミック対策で他国よりも成功し経済の展望も明るい中国に戻る誘惑に駆られている。

プラートで約30年暮らしたシモナ・ツォウさん(50)は、自分のニットウェア工場を家族に託し、昨年7月に浙江省に戻った。

基礎疾患を抱えるシモナさんは、新型コロナに対する不安が強く、ウイルスがほぼ制圧された中国で母親と暮らす方が安全であるように感じていた。

シモナさんの娘でプラート市議会議員も務めるテレザ・リンさんは、「母がここに戻ってきたら、ほぼ家に閉じこもっていなければならないが、浙江省では何の制限もなく、人々はマスクさえ着けていない」と話す。

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<中国の方が安全>

イタリアでは新型コロナによる死者が12万4000人を超えているが、中国で報告された死者は5000人に満たない。

だが、多くの中国系住民がこの街を離れたのは、感染の不安よりも経済的な困窮が原因だ。ロックダウンが繰り返される中で、イタリアの低コスト繊維産業が打撃を受けているからだ。

イタリアの経済活動は徐々に再開されているが、繊維産業で働く中国人労働者の多くにとってはすでに手遅れだ。

プラートで暮らす浙江省出身のジャーナリスト、フアン・ミャオミャオさんは、中国人コミュニティーの10%に当たる約2500人が昨年中に中国に戻ったと推測している。やはり市議会議員を務めるマルコ・ウォンさんは、この数字について「現実的だ」と評する。

公式データは現状に追いついていない。中国への帰国者がイタリア当局にその旨をわざわざ報告するとしても、数年先になりかねないからだ。

ウォンさんは「中国人コミュニティーでは、1980年代にここに来た人々ですら帰国について議論している」と語る。

「中国の経済は成長していると思われているし、イタリアでの状況と比較した場合、パンデミック対策の成功によって中国に対する肯定的な見方が強まっている」

イタリア経済は昨年、マイナス8.9%と急激に後退し、3月までの12カ月間で50万人もの雇用が失われた。

市議会の当局者は、プラートを離れる中国系住民の数が増加する一方、新たな転入者はほとんど見られないと話す。指標とされるのは、学校の在籍生徒数だ。

この当局者によれば、2019年までは、プラートの学校には毎年200人前後の中国人新入生が在籍していたという。だが2020年・2021年は「統計的に有意な数字はない、事実上ゼロ」と言う。

<シャドーエコノミー>

プラートの中国人コミュニティーがリセッションによる厳しい打撃を被ったのは、中国系住民の多くが非公式経済(シャドーエコノミー)で働いているためだ。これは、前年度の企業の納税申告書に基づく政府支援を受けられないことを意味する。

プラートのイタリア中国友好協会のルイジ・イェ会長は、「プラートの中国系企業の大半は非常に苦しんでいる」と語る。同協会では昨年、中国系住民800世帯に資金援助を提供した。

プラートの中国系住民は伝統的にお互いに助け合い、公共の福祉に頼ることは避けていた。だが、コロナ禍による貧困の深刻化に直面し、こうした「共助」の考え方は崩壊した。