アングル:看護師ボクサー「次は選手で五輪」、開会式出演で思い強める

Reuters

発行済 2021年07月29日 13:56

更新済 2021年07月29日 14:10

Kim Kyung Hoon Ju-min Park

[東京 27日 ロイター] - 新型コロナウイルス禍で五輪への夢をいったん絶たれた「看護師ボクサー」の津端ありささんが、2024年のパリ大会に向けて再びその思いを強くしている。

23日の東京五輪開会式、トレッドミルの上をひとり黙々と走るアスリートを演じた津端さんは、パンデミック(感染症の世界的流行)下で選手たちがいかに孤独に向き合って練習しなければならかったかを世界に伝えた。

コロナ禍は東京五輪を目指した選手の多くを翻弄(ほんろう)した。津端さんもその1人。国際オリンピック委員会(IOC)は今年2月、6月に予定されていた最終予選を中止し、ここ数年の国際大会の成績によるランキングに基づき出場枠を割り当てると発表した。最終予選に向けて練習を重ねてきた彼女の夢は打ち砕かれた。

津端さんは看護師として働く一方、ボクサーとして東京五輪出場を目指していた。ボクシングに専念するため、今年1月に規模の大きな病院での仕事を辞めた。給料は安くなるが、小規模な心療内科クリニックで負担の少ない仕事をすることにした。

5月にロイターの取材に応じた津端さんは、24年のパリ大会への出場を考えるのはまだ早いと話していた。体力を維持できるか心配だと語り、「私にできることは小さな大会でも大きな大会でも、一歩一歩頑張っていくことだ」と話した。

だが、東京五輪の開会式に出演したことで彼女の考えは変わった。

「今回の五輪に携わることができて、今回はパフォーマンス、パフォーマーという点で参加させてもらったが、次は選手で出場したい気持ちが強くなった。パリ五輪は選手として出たい」──開会式が行われた国立競技場で津端さんはこう語った。「目標はパリ五輪でメダル獲得です。一番いい色を取るように頑張りたい」

津端さんが開会式への出演依頼を受けたのは4月。ロシアで行われた大会から帰国した6月に最終決定した。7月にリハーサルが6回あった。両親以外、勤務先やジムにも言わなかった。

「もちろん緊張もあった」と、津端さんは開会式が始まるまでの数時間を振り返った。「ずっと一緒に頑張ってきた人たちから、楽しもうねと声をかけてもらったので緊張よりは楽しもう、楽しもうという気持ちで、ワクワクした気持ちで待っていた」

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