東日本大震災から10年、犠牲者2万人以上 2年ぶり政府主催の追悼式

Reuters

発行済 2021年03月11日 07:45

更新済 2021年03月11日 15:19

[いわき市(福島県)/東京 11日 ロイター] - 東北から関東の広い地域を襲った東日本大震災から、11日で10年を迎えた。強い揺れと、その後に繰り返し押し寄せた津波は、およそ2万人の命を奪った。今も2500人超の行方が分かっていない。福島1原子力発電所の廃炉は想定通り進まず、いまだに故郷に戻れない人が多くいる。政府は同日午後、2年ぶりに追悼式典を開催。天皇・皇后両陛下が出席した。

震災からちょうど10年となる11日早朝、福島県いわき市の久之浜地区にある秋葉神社には、20─30人の住民が集まり、奇跡的に倒壊を免れた社に手を合わせた。みんな高齢で、体調や天気、日々の生活について話しながら、折り鶴や花で神社を飾った。これほど暖かく、風がない日はこの10年で初めてだという。

2011年3月11日午後2時46分に三陸沖で発生したマグニチュード9.0の大きな地震は、宮城県北部で最大震度7を記録した。太平洋沿岸を広範に襲った巨大な津波は、最高16.7メートルだったと気象庁は推定している。

久之浜地区にも津波が押し寄せ、街は流された。その中で、海岸から近いこの神社は倒壊せずに残った。「10年前、みぞれが降ってきて寒かった。寒いとどうしても、あのときのことを思い出さざるを得なかった」と、語り部として活動する62歳の女性は言う。「10年ひと区切りと言うが、気持ちの上ではいつもと変わらない。みんながきょう、この神社に来て手を合わせているんだな、と」。

いわき市で飲食店を営む新妻篤さん(47)も、3月11日が来るたびに秋葉神社を訪れる。新妻さんが静かに祈りを捧げた石碑には、震災で犠牲になった66人の名前が刻まれている。そこには67歳で亡くなった母親の光子さんの名前もある。

光子さんの家は神社から近く、海岸から50メートルほどしか離れていなかった。新妻さんの子どもたちの世話をしていた彼女は、急いでみんなを車に乗せた。しかし、忘れ物を取りに戻ったところで津波に流された。遺体が見つかるまでに1カ月以上かかった。

「おばあちゃん子だった子どもたちも、みんな元気に過ごしているよ。無事に過ごしていると、感謝の気持ちを伝えにきた」と、新妻さんは話す。

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警察庁によると、震災の死者は全国で1万5000人以上。復興庁は、関連死を含めた犠牲者は2万人以上としている。国内メディアによると、今なお2500人を超える行方不明者がいる。建物の被害は全壊が約1万6000戸、半壊が約2万6000戸に及んだ。

<燃料デブリの取り出しを延期>

津波で冷却システムが停止した東京電力福島第1原発では、3基の原子炉でメルトダウン(炉心溶融)が起き、深刻な放射能汚染が広がった。

福島県内の12市町村が避難指示区域となり、10万人以上の住民が避難を余儀なくされた。その後は除染作業などが進み、避難指示は徐々に解除されたが、過疎化の進展や就職先の少なさもあり、住民の帰還は順調に進んでいない。

廃炉の工程表をまとめた政府と東京電力は、2021年中にデブリ(溶け落ちた核燃料)の取り出しを始める予定だった。しかし、高い放射線量などで作業は難航。1年程度延期することを決めた。タンクに貯蔵している処理済み汚染水の処理方法についても、政府は今月9日、事実上の先送りを閣議決定した。

政府が11日午後に東京の国立劇場で開いた追悼式典には、天皇・皇后両陛下が出席した。菅義偉首相は「最愛の家族や親族、友人を失われた方々の気持ちを思うと、今なお哀惜の念に耐えない」と語った。「震災による大きな犠牲の下に得られた貴重な教訓を決して風化させてはならない。あらゆる分野において国土強靭化に取り組み、災害に強い国づくりを進めていく」と述べた。

昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で式典を取りやめた。

政府がこれまでに投じた復興費はおよそ31兆円。阪神淡路大震災復興事業費の2倍程度に相当する。